案山子残筆 白浜町中村 山田 正文氏より
中国盛唐の詩人杜甫の詩に、酒の好きな八人の酒仙を歌った飲中八仙歌がある。今から十数年前、長野さんを筆頭にした我々五人の仲間のことを、杜甫の詩を真似て飲中五仙歌という詩を作った。その冒頭に
雲哲微醺方卓然(雲哲はほとんど酒を飲まないが周りを超越し平然としている)
高談雄弁驚四筵(話せば雄弁且つ魅力的で、周囲の人を引付け驚かす)
もちろん、「雲哲」というのは長野さんを指すのであるが、この一節のように、酒は一滴も飲まないのに、酒飲みの我々の愚話に付き合ってくれた上で、ご自分の経験談を滔々と話してくれた。特に、播磨聖人亀山雲平に話が及ぶと、まさに「高談雄弁」、独特の播州弁で夜半に及ぶまで話してくれたのが度々あったことが強く印象に残っている。
もともと、長野さんは郷土史に造詣が深く、また江戸末期からの日本の近代史に精通しておられ、著名な歴史学者や郷土史家、市立文学館や市史資料室との交流が深く、研究のために集められた資料は、並みの歴史学者を遥かに凌ぐほどである。
地元の灘のけんか祭に関することや、灘の地域に貢献した人々とその系列やネットワークなど、その範囲は広く奥が深い。しかもそのほとんどを自分で裏づけをされているところが、単なる趣味の域を超えて天命のような使命感さえ感じる。
特に、自ら「亀山雲平顕彰会」を創設され、郷土の松原八幡神社初代宮司であり、郷学の士である亀山雲平先生の顕彰に一生を捧げられたことは敬服に値する。
その研究ぶりは、碑文や墓碑銘があると聞けばどこまででも車で出かけて行って拓本を採り、ある著名人の子孫が居られると聞けばその家を訪ねて話を聞き込み、古い書き物や墨蹟があると聞けば行って見せてもらい、その熱意と行動力は本業以上と言える。
また、それらの情報が各方面から入ってくるだけの人的交流を作り上げたのは、長野さんの親しみやすく人を惹きつけ魅了する人柄の良さであり、人間性の大きさによるものである。
その中でも特筆すべきは、世界的儒学者である九州大学名誉教授岡田武彦先生を我が郷土にお迎えしたことである。
今から二十年前に、ある人から「こういう先生が居られる」と紹介され、その先生の著書の経歴の部分に「姫路市出身」としか書かれていなかったことに疑問を感じた長野さんは、直接先生に手紙を出された。もちろん岡田先生は我が郷土の白浜町中村のご出身なのは今では周知のことではあるが、当時は誰一人知らなかった。長野さんはご自分のライフワークである亀山雲平先生の顕彰活動で調べた「節宇亀山雲平顕彰碑」の碑文の中に「岡田重成」という名前があり、その人が岡田先生のお父さんではないかという推測をされた。案に違わず直ぐさま岡田先生から「私の父です」との返事が返ってきた。
それから岡田先生と郷土の人や姫路市や近隣の方々との交流、講演、遺跡探訪など、岡田先生との親交がはじまったわけで、世界的な儒学の権威である岡田先生と我々と我が郷土を結びつけた一番の立役者が長野さんである。
そのお陰で、亀山雲平先生を中心にした先師先哲の遺徳を顕彰し学ぶという「郷学」の礎が築かれたといえるし、このことは取りも直さず、その郷学を通じて、地元、地域を元気に活性化するという、長野さんが生涯をかけて貫かれた志でもある。