平成13年6月22日を皮切りに、白浜公民館にて、「亀山雲平翁」についての10回シリーズ講演会が開催されました。当時の館長でありました岡本敏雄様には、大変お世話にになりました。御礼申し上げます。残念ながら、映像音声の記録はありませんが、資料がありましたので掲載いたします。また、第2回目の講演の原稿がありましたので下記に紹介いたします。
❑第一回 平成13年(201年)6月22日 「生い立ちと時の背景」
❑第二回 平成13年(2001年)7月21日 「好古堂、久敬舎と観海講堂」
❑第三回 平成13年(2001年)11月23日 藩校「好古堂」での教育
❑第四回 平成13年(2001年)12月15日 顕彰碑をたずねて、現地講座
❑第五回 平成13年(2001年)12月21日 江戸官学昌平校
❑第六回 平成14年(2002年)1月25日 遺稿集をひも解く
❑第七回 平成14年(2002年)2月16日 碑文集を求めて
❑第八回 平成14年(2002年)2月28日 姫路城開場(鳥羽伏見の戦い)
❑第九回 平成14年(2002年)3月15日 姫路城開場と景福寺(現地講座)
❑第十回 平成14年(2002年)3月30日 己亥凶事始末記全4編、祝詞祝文
-皆さんこんにちは-
今日は皆さん我々松原神社氏子にとっては最も記念すべき日なんです。今から130年前の今日七月二十一日は、亀山雲平が松原村へ着任して来た日なんです。 即ち1873年明治六年七月二十一日のことです。
迎えてくれた人は炭本総右衛門(村長)です。
そして約一年間この炭本村長の家に寄留していた、その間に松原神社裏門前の社宅の改築が完成したので、移っていった。今の亀山家であります。そして七月二十三日より正式に、松原八幡神社の第一号神主となったわけです。姫路一の大物宮司が誕生したわけです。今日、その松原神社の元境内地のこの白浜公民館に於いて亀山雲平の研修会が催されました。
白浜町の三総代会の方々と、岡本公民館長さんの自然のこの運営も、こんな因縁のある事を知って聞いたものではなく雲平先生の魄の導きであると思ってなりません。
そんな思いで私も朝から松原神社と雲平先生の顕彰碑にお参りをして来ました。 今一つ皆さんにお願いがあります。
またとないこんな記念の日に130年間この神聖な松原神社に奉仕された雲平先生、谷政則先生、亀山家歴代の宮司と歴代の宮総代を務められた先師・先哲と七か村の大勢の氏子の霊に対して感謝の意を表し一分間の『黙とう』を捧げたいと思いますが如何でしょうか。 (OKの場合〔黙とう〕〔おなおり下さい〕着座
❑第二回 平成13年(2001年)7月21日 「好古堂、久敬舎と観海講堂」
❑第三回 平成13年(2001年)11月23日 藩校「好古堂」での教育
❑第四回 平成13年(2001年)12月15日 顕彰碑をたずねて、現地講座
❑第五回 平成13年(2001年)12月21日 江戸官学昌平校
❑第六回 平成14年(2002年)1月25日 遺稿集をひも解く
❑第七回 平成14年(2002年)2月16日 碑文集を求めて
❑第八回 平成14年(2002年)2月28日 姫路城開場(鳥羽伏見の戦い)
❑第九回 平成14年(2002年)3月15日 姫路城開場と景福寺(現地講座)
❑第十回 平成14年(2002年)3月30日 己亥凶事始末記全4編、祝詞祝文
迎えてくれた人は炭本総右衛門(村長)です。
白浜町の三総代会の方々と、岡本公民館長さんの自然のこの運営も、こんな因縁のある事を知って聞いたものではなく雲平先生の魄の導きであると思ってなりません。
またとないこんな記念の日に130年間この神聖な松原神社に奉仕された雲平先生、谷政則先生、亀山家歴代の宮司と歴代の宮総代を務められた先師・先哲と七か村の大勢の氏子の霊に対して感謝の意を表し一分間の『黙とう』を捧げたいと思いますが如何でしょうか。 (OKの場合〔黙とう〕〔おなおり下さい〕着座