白浜公民館10回講演会の中から「灘祭り」について

解説:山田 正文氏

はじめに

 この稿は、木場の「亀山雲平顕彰会」代表長野哲氏が2001年に白浜公民館において「播磨の聖人 亀山雲平を発掘する」と題して行った講演の中の「灘まつり」についてお話された内容を抜粋し文章にしたものである。

この講演は白浜公民館主催で、2001年4月から2002年3月まで、計10回にわたって行われた。なお、話の内容で一部集約したり、細かい部分は割愛させていただいた。また、人名等の固有名詞については聴き取りのため、呼び名、文字は正確ではないものがある。

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岡田武彦先生、松原八幡神社に楷ノ木植樹する

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松原八幡神社

平成5年11月20日、姫路市中村出身である、九州大学名誉教授、岡田武彦(福岡、平成16年没)先生が、松原八幡神社(姫路市白浜)及び山崎闇斎神社(宍粟市山崎町)に楷ノ木を植樹されました。

 

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山崎闇斎神社

岡田先生の父が亀山雲平の門人であり、また亀山雲平顕彰碑建立の発起人の一人であります。岡田先生は父の血を引継ぎ、世界的な儒学者となり、多数の著書を残しております。

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平成5年木場汐かき

長野哲は、亀山雲平顕彰会を立ち上げ、雲平の門人達の子孫を調査しているときに、岡田先生と知り合うことになります。以来、約10年間毎年、灘祭りには必ず帰ってこられました。長野哲と雲平顕彰会の仲間達は、いつも岡田先生と行動を共にして、先生の好きな日本酒で杯を交わしていた、そんな記憶が蘇ります。
ご冥福をお祈りいたします。

岡田武彦記念館を紹介します。ここをクリック

 

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松原八幡宮御神事御規式定(約250年前の灘祭り)

松原八幡宮絵巻

松原八幡宮絵巻

昭和十三年の六月に、八幡神社の祭礼に関する古記録が八木村役場で発見され、昭和二十三年に河野薫男氏により当時の現代語に訳され、それを更に現代文に書き換えました。下記はそのはしがきです。また、これにより、灘祭り絵巻と一致することが分かります。

(はしがき)
昭和十三年の六月に、八幡神社の祭礼に関する古記録が八木村役場で発見された。その記事によると、同じものを七通作成して七ケ村各一通を保有すとあるが、殆んどが失われこの一通が非常に貴重な文献となった。昭和二十三年に装丁して巻とするに際し、後世これを読む者のために読み下し易いように書き改め、尚註として文意を現代語に改めたものをつけ加えた。註には原文の語句や語の前後の調子から考えて筆者が下した解釈を記入したところもある。
            

昭和二十三年(宝暦八年(1758年)から隔たること百九十年目)

   
          註 者 河野 薫男  白濱町宇佐崎
   
          印刷者 株武会社 柳蛙社
               中野 善吉  白濱町松原

松原八幡宮御神事御規式定の全文現代訳 PDF5ページ

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長野 哲大兄を偲ぶ

案山子残筆           白浜町中村  山田 正文氏より

中国盛唐の詩人杜甫の詩に、酒の好きな八人の酒仙を歌った飲中八仙歌がある。今から十数年前、長野さんを筆頭にした我々五人の仲間のことを、杜甫の詩を真似て飲中五仙歌という詩を作った。その冒頭に
 雲哲微醺方卓然(雲哲はほとんど酒を飲まないが周りを超越し平然としている)
 高談雄弁驚四筵(話せば雄弁且つ魅力的で、周囲の人を引付け驚かす)
もちろん、「雲哲」というのは長野さんを指すのであるが、この一節のように、酒は一滴も飲まないのに、酒飲みの我々の愚話に付き合ってくれた上で、ご自分の経験談を滔々と話してくれた。特に、播磨聖人亀山雲平に話が及ぶと、まさに「高談雄弁」、独特の播州弁で夜半に及ぶまで話してくれたのが度々あったことが強く印象に残っている。

もともと、長野さんは郷土史に造詣が深く、また江戸末期からの日本の近代史に精通しておられ、著名な歴史学者や郷土史家、市立文学館や市史資料室との交流が深く、研究のために集められた資料は、並みの歴史学者を遥かに凌ぐほどである。
地元の灘のけんか祭に関することや、灘の地域に貢献した人々とその系列やネットワークなど、その範囲は広く奥が深い。しかもそのほとんどを自分で裏づけをされているところが、単なる趣味の域を超えて天命のような使命感さえ感じる。

特に、自ら「亀山雲平顕彰会」を創設され、郷土の松原八幡神社初代宮司であり、郷学の士である亀山雲平先生の顕彰に一生を捧げられたことは敬服に値する。
その研究ぶりは、碑文や墓碑銘があると聞けばどこまででも車で出かけて行って拓本を採り、ある著名人の子孫が居られると聞けばその家を訪ねて話を聞き込み、古い書き物や墨蹟があると聞けば行って見せてもらい、その熱意と行動力は本業以上と言える。
また、それらの情報が各方面から入ってくるだけの人的交流を作り上げたのは、長野さんの親しみやすく人を惹きつけ魅了する人柄の良さであり、人間性の大きさによるものである。

その中でも特筆すべきは、世界的儒学者である九州大学名誉教授岡田武彦先生を我が郷土にお迎えしたことである。

今から二十年前に、ある人から「こういう先生が居られる」と紹介され、その先生の著書の経歴の部分に「姫路市出身」としか書かれていなかったことに疑問を感じた長野さんは、直接先生に手紙を出された。もちろん岡田先生は我が郷土の白浜町中村のご出身なのは今では周知のことではあるが、当時は誰一人知らなかった。長野さんはご自分のライフワークである亀山雲平先生の顕彰活動で調べた「節宇亀山雲平顕彰碑」の碑文の中に「岡田重成」という名前があり、その人が岡田先生のお父さんではないかという推測をされた。案に違わず直ぐさま岡田先生から「私の父です」との返事が返ってきた。

それから岡田先生と郷土の人や姫路市や近隣の方々との交流、講演、遺跡探訪など、岡田先生との親交がはじまったわけで、世界的な儒学の権威である岡田先生と我々と我が郷土を結びつけた一番の立役者が長野さんである。

そのお陰で、亀山雲平先生を中心にした先師先哲の遺徳を顕彰し学ぶという「郷学」の礎が築かれたといえるし、このことは取りも直さず、その郷学を通じて、地元、地域を元気に活性化するという、長野さんが生涯をかけて貫かれた志でもある。

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長野哲、亀山雲平の夢を見る

長野哲、雲平の夢を見る
(平成3年6月17日、長野哲記)

(平成2年6月)
資料を探していたころ、亀山雲平先生が出て来て資料はここにもある、こっちにもあると、左右に段ボールを出して来た夢を見た。
当日、白浜松原の仙石収氏と是川書店で会い、約10点ばかりの雲平の書があると言った。
不思議である。

(平成2年11月12日)
雲平さんが、城中か好古堂練武場庭かで剣術をしているところへ、一人の武士が来て、よく頑張っているなと声をかけて通り過ぎて言った。
小生が雲平さんに、今の人は誰ですかと問うと、あの人は河合寸翁であるといった。

(平成3年6月17日)
雲平先生と机をはさんで教えを受けていた。
先生は、夏のシャツと半ズボン姿で柔和なおだやかな表情で、漢文と人の道の道義について教えてくれ、又質問をしていた。
色の白い物静かな表情の人であった。

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*いずれの夢も、朝方見たと記している。最初の夢を見た平成2年6月は、亀山雲平顕彰会の機関紙である「青松白沙」創刊号を発行した翌月である。

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