【長野哲記念館保存会の目的】
私は落語が好きで、毎年1月に姫路市民会館で開催される、桂米朝一門会を見に行きます。最近は高齢につき、米朝師匠は落語の高座にはあがらず、息子の桂米団冶が代わりを務めています。一昨年の桂米団治襲名披露公演の枕で、米団治がこう言いました。
「姫路には国宝が二つあります。一つは、姫路城。もう一つは、桂米朝です」と。
この二つの国宝に関係する人物が、播磨聖人と称された「亀山雲平翁」です。
亀山雲平は、姫路藩士の家系に生まれ、藩校の好古堂で教育を受け、瞬く間に教授に推挙されます。29歳にして今の東京大学の前身である昌平坂学問所に入学し、全国の秀才と勉学に励みました。文久元年(1861年)11月に、藩主より大観察(大目付)に抜擢されました。明治元年1月、佐幕派であった姫路藩は、鳥羽伏見の戦いに参加し大敗した後、官軍である備前兵により城内への攻撃を受けました。この時の敵軍との交渉係が亀山雲平で、即刻全員退去して城を明け渡す条件で、敵軍の砲撃を中止させ、藩士の命と、姫路城倒壊を救いました。
明治6年(1873年)7月、松原八幡神社の祠官となり、境内に私塾久敬舎、後に観海講堂を設立し、一般師弟に学問を教えました。明治32(1899年)年5月、78歳で没するまでに約3000人の門人を育てました。
その門人の一人が、桂米朝師匠の祖父です。また、師匠が大東文化学院時代に勉学したときの教科書が、亀山雲平著「標註弘道館記述義」であり、師匠にとっては忘れることのできない人物で、そのことは、長野哲宛のはがきで書かれております。
この二つの国宝を作り上げたのは、亀山雲平の寄与するところが大きく、そのことの重要性を長野哲は早くから感じ取り、何とか、亀山雲平の名を発掘して、後世に伝えようとしました。
本会は、亀山雲平顕彰会を中心に、長野哲が残した文献を紹介しながら、このサイトをご覧になられた方のご意見、新しい資料や逸話を提供していただき、また、皆様方のコミュニティーの場になるよう努力してまいりますので、よろしくお願いいたします。
長野哲ネット記念館保存会 代表 長野総一郎
【長野哲記念館保存会】
名 称:長野哲記念館保存会
会 長:長野総一郎(長野哲氏の長男)
目録編集:宇都博文、西尾公博、長谷川博樹、橘 伸一
資料整理:小原慶太郎
文献監修:橋本 章
ホームページ管理:長野総一郎
事務所:株式会社ナガノ内
連 絡:電話 079-245-2535 ファックス 079-245-3560
メール:長野哲記念館保存会宛
【長野哲記念館保存会事務所】
商 号:株式会社ナガノ
所在地:〒672-8019 兵庫県姫路市木場前七反町39番地
代表者:代表取締役 長野総一郎
資本金:1000万円
従業員:4名
事業内容:不動産の売買・賃貸・管理、不動産業務用ソフトの製作販売
宅建免許:兵庫県知事(8)第450314号
所属団体:(社)兵庫県宅地建物取引業協会姫路支部 姫路商工会議所会員
TEL:079-245-2535 FAX:079-245-3560
メール:info@pcc21.co.jp URL:http://www.pcc21.co.jp
<会社写真>
<所在地図>
感動しました。
たまたま、木庭のことを調べていて行き着き
長時間、引き込まれてしまいました。
平成22年12月26日に大蔵前公園で甲子の獄の追悼のために、姫路幕末維新祭りを主催する、姫路幕末ファンクラブ会長の大谷 充です。いろいろ調べているうちにこのペ-ジに行きついたんですが、ビックリしました。長野 哲、これは、八家興産のオッサン(失礼)じゃないか。こんなことに興味があったとは。今年に亡くなられたとは、25年くらい前には、よく事務所に寄らせてもらって、豪快な話を聞かせてもらいました。謹んで哀悼のまことをささげます。今後、私も姫路の幕末の研究に精進させていただきます。また、亀山雲平三のことも知りたいと思います。姫路市五軒邸2-130 大谷 充