<雲平の学んだ学校と先生>
好古堂教授 角田心藏
仁寿山校 菅野眞斉
昌平坂学問所 佐藤一斉
天保三年(1832年)十一歳で好古堂に入学した。そして、七年間、角田心藏先生について漢文・詩文を教わり、十八歳で助教授となった。兄源十郎剛毅が好古堂を卒業して、仁寿山校へ進学していたので、雲平も仁寿山校菅野眞斉について学んだ。
天保十二年(1842年)雲平二十歳のとき仁寿山校設立者の河合寸翁が死去した。翌年仁寿山校は廃校となり、好古堂に併合してしまった。嘉永三年(1850年)二十九歳のとき雲平は江戸昌平坂学問所に入学して、佐藤一斉について勉強した。
そして、二十年の修学を終えて、姫路に帰り、安政二年(1855年)六月一日好古堂教授となった。時に雲平三十四歳であった。
当時、好古堂には約二百人の寄宿生と八百人の通学生が学んでいた。上士、下士の隔たりなく、有学な人材の養成に向かって教育に専念していた。