松原八幡宮略記

松原八幡宮略記

抑々、當社の地は、神功皇后三韓征伐の御時、龍舟を懸けたまひし奮跡也。

其後、人皇四十七代淡路廃帝の天平寳字七年癸卯閏四月十四日、豊前國宇佐郡より白雲東方にたなびく。 時に、海中に暉あり。 炳なること、曦光の如し。 其光天地にかがやき、諸人奇異の思をなす。 その時、國司に霊夢あり。 網を入れて、引上ぐべしと。 告に任せ、目賀の久津理といひし漁人に仰せて引上げしむるに、一の霊木に鮮なる虫喰の文字あり。 八幡宮と云々。 目賀の川末巽の山の麓に、霊石あり。 その上に安置し奉る。 此他を、今若神といふ。 日將に夕景に及んで山川雷動し、瑞光黒闇を照すこと、恰も白晝の如し。 其他を、今月坂といふ。 此由帝に、奏.し奉る。 則ち勅使を下し給ひて、目賀の北山に假殿を造り、神體を遷し奉る。 宿院殿是也。 或夜の託宣に、此浦の海原を白濱となし、一夜に數千本の松を生ずべし。 其地に遷座すべしと云々。 御告の如く、松の生ずること粟の如し。 此故に、粟生の松原と號す。 天皇此地に神殿を建給ひ、諸國の守護も數個所の田圃を、寄せらる云々。

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