白井長左衛門元貞

白井長左衛門元貞         養直亭

木場の郷土史を諮るとき、先ず参考にする書は木庭記である。
この木庭記なる本は日本国中の歴史の本に集録されている。
作者は木場の人で約三百年程前に生まれた人で、名を、白井長左衛門元貞と云う人である。この人は非常に研究熱心な学者であり、古事記・万葉集・古今和歌集・論語・播磨風土記・播磨日本記等、日本の古典文学や歴史の本を網羅し、取分け播磨の歴史については、非常に細かに観察し貴重な資料を残している。
 又、木庭記という本は色々な本があり、皆之を筆写ししているのである。最近になって、播磨町歴史資料館に大変大冊で今迄見た事もない祥しい木庭記なる本が出て来た。
 木場東之丁に長瀬七郎太夫義隆という財産家があって其の家に木庭記の原本があったと聞いていましたが、播磨町資料館の木庭記は、その長瀬家にあった原本の様です。
この本には、書頭に長瀬家の印鑑が押してあります。
そしてこの木庭記は八木公民館長、溝脇義隆氏が東山の寺脇弘光先生に依頼して現代文に解読され出版されました。

 然し著者の白井長左衛門元貞という人は如何なる出生の人物なのか、詳しい資料はありませんが、この木庭記の外に播州名跡跡という大冊四編を著しております。
この内容は播州一円の古歌・名所・旧跡・口碑など広範囲にわたって調査、研究して書いております。
 この様な偉い学者が我が木場に居たとは感動で誇りにおもわれます。
よく考えて見ると、木庭記の初めに「明細書附録」木庭記と書いてあるところから、寺社奉行所へ届出る寺社明細書に添付した文書ではないかと想像されます。

別に属本としてある木庭記の内容はもっと木場村の内の出来事を事細かに書いてあります。
 白井元貞は明細書に添付するのに何篇も清書したと思われます。この明細書は木場村の庄屋、白井利右衛門包道の仕事であり、白井元貞と庄屋、白井包道は兄弟で藩に提出する明細書の作成も弟 元貞に依頼し作成したものであると思われる。
白井家は元東山村出身であり、昔松原神社の神官であると書いてあるいつ頃木場へ、どうゆう分けで来たのか分からない。
大地主か、塩田主か、海運業かいずれにしても教養のある家柄であったと思われる。
白井元貞が木庭記を書いた所は、木庭山のオバタケ祇鳥居を建てる辺りに大きな平地がある、ここに白井元貞の別荘があり養直亭という。この辺りは前面180度展望可で、木庭神社辺りに上がると360度視界が広がる。この辺りより四国を眺めて色々作文したものであろうか。
このことは我々木場人にとっては大変な先人達の生活の様子と伝えられているのである。
 然し、其の後の白井家の事は一切分からない。墓碑・子孫系何も記録が残っていないのが残念で、今後の解明に期する。

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