3代目桂米朝師匠と亀山雲平との関わり

平成25年3月16日、3代目桂米朝師匠が亡くなられました。享年89歳。
米朝師匠(本名中川清)は、満州で生まれ、帰国後姫路市大善町に居住し、城東小学校、旧姫路中学校、大東文化学園と進まれましたが、大東文化学園で亀山雲平翁が書かれた「標註弘道館記述義」を学びました。
標註弘道館記述義
米朝師匠の祖父(中川栄次郎)は、九所御霊天神社(現、神屋天神社)の宮司であり、亀山雲平翁の門人でした。もちろん、父も同神社の神主でした。
そのことを知った、顕彰会会員の是川健一氏が機関誌「青松白沙」に投稿し、それを桂米朝師匠に送ったところ、早速礼状のハガキが届きました。
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「観海講堂」(機関紙「青松白沙」のこと)をご送付くだされ、厚く御礼申し上げます。
又、三号に、是川健一様が、私のことを書いて下され、有難うございました。
雲平翁は、「弘道館記述義」の注釈では全国的に有名でした。
私も昔、大東文化学院でこの雲平先生の注釈本で「述義」を学びました。
今では、ほとんど忘れてしまいましたが、今日、忘れられていた亀山先生のことが、このような形で顕彰されていることは嬉しいことです。

平成3年(1991年)1月1日、年賀はがき

 

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